不耕起の稲作り

耕さない田んぼでよみがえる!人と自然の調和

のどかな田園風景。でも気になるのは、 昔は田んぼで当たり前に泳いでいたメダカが1匹も見あたらないこと。 たくさんいたカエルやゲンゴロウやタニシ……。
畑からモンシロチョウが消えたように、みんないなくなってしまいました。 基盤整備や、害虫がつくからと農薬を使ってきた結果、 生きものを追いやってしまったのです。
本当にこれでよかったのでしょうか。生きものがいない田んぼは、 食の原点お米にも、影を落としています。
そんな中、近頃たくさんの生きものたちが集まる、 ちょっと話題になっている田んぼがあるのです。 それが耕さない田んぼ、不耕起の稲作りです。

耕さなくても年々豊かになっていくのが不耕起の田んぼなのです

生きものいっぱいの田んぼ

カエル エル、トンボ、タニシ……と一時は見られなかった生きものが復活。そればかりかホタルや白鷺やマガン、猛禽類まで飛来するようになったところもあるという田んぼ……それが、 不耕起の田んぼです。
不耕起水田とは 文字どおり、耕さずに稲を育てる田んぼのことですが、びっくりするのは、そうした田んぼにさまざまな生きものが戻ってきていること。また、稲が病気や気象の変化にも強い上、収穫量も増えるというのです。この耕さない田んぼとはいったいどんな田んぼなのでしょう。田んぼの不耕起栽培を提唱している、岩澤信夫さんにお話を伺いました。

耕さないほうが稲は大きくなる!?

農薬や化学肥料も使わず、田んぼを耕さないで稲を育てるなんて、それだけで驚きです。
でも、通常よりいいお米が穫れるというのですから、本当に不思議。 「いったいなぜ、田んぼを耕さないことが、良いお米が穫れることにつながるのでしょう」とたずねました。 「耕さなければ土は固くなるから、 苗は固い土に根を伸ばそうとしてがんばりますが、なかなか根を伸ばすことができないと、根が太く強くなるんですよ。初めは生長が遅いように見えるんですが、こうしてできた強い苗はみごとな株に育って、大きな穂をつけるんですね」
岩澤さんは、これを「稲の野生化」といっています。野生化した稲は本来の力を発揮し、病気や虫、冷害にも強くなるそうなのです。
そう言えば、わたしたちのまわりを見回すと、自然に生えている雑草や樹木は、誰かが耕して植えたわけでもないのに、たくましく生きています。
「耕すことは、そこにできていた自然の循環を壊してしまうことになるんです。つまり、環境を壊しているということなんですよ」と岩澤さん。耕すことが環境破壊?! とは、常識とはあまりにかけ離れた言葉にまたもやびっくり。

図、不耕起栽培稲作の水田

不耕起・冬期湛水の田んぼでは雑草も抑えられる

冬季湛水の水田

岩澤さんの農業技術には、もうひとつ大きなポイントがあります。稲刈りを終えると、冬期湛水(たんすい)(稲刈り後の冬の間も田んぼに水を張る)をして、年間を通し田んぼに水が張っているようにするのです。稲刈り後の稲株は、そのままにしておきます。
水中で稲株や藁が水中で分解されると、「サヤミドロ」という藻が田んぼ一面に繁殖します。このサヤミドロが水中で光合成をして、多量の酸素をつくりだします。「『サヤミドロ』がつくる酸素の量は、溶存酸素量(水中で酸素が釣り合いをとって溶け込めると考えられている量)を大きく超えるんです(下図)。その酸素と食物連鎖で、田んぼの生きものたちは大繁殖をするのです」と岩澤さんはにっこり。ふつうの田んぼでは、稲藁は耕して土にすき込みます。でも、いろいろ試してみた結果、「サヤミドロ」は稲藁が水中分解しなければ発生しないということがわかったのです。


サヤミドロ

また、不耕起の田んぼの生きものたちの中にイトミミズがいます。イトミミズは、土の中にもぐり、微生物や有機物を食べて糞にします。無数に繁殖したイトミミズの糞は、土の上に積もってとてもよい肥料となるだけでなく、なんと、雑草の種の上を覆って発芽の抑制もしてしまうというのです。「水を張っていることで、田んぼの生きものたちは活動をつづけるので雑草が生えなくなって、田んぼは冬の間にもどんどん豊かになっていくんですよ」。


図、不耕起水田の溶存酵素量の変化

生きものたちが稲作りを楽にしてくれる

不耕起水田、比較

このように生きものが生きやすい環境になれば、害虫もやってくるのではないかと心配になるところですが、多種類の生きものが生息し、害虫を食べるクモやカマキリ、カエルもたくさんいるので、かえって大きな被害が出にくい状況となります。 そして、またそれらをエサにする鳥類やヘビなどがやってきて、食べてしまうのだそうです。
日本の稲作の歴史は2500年以上。その長い時の中で、田んぼに順化した生きものたちは、稲作とともに生きてきました。農薬や用・排水路の整備などで、田んぼで生きることができなくなれば、メダカのように絶滅の危機にさらされることになってしまうのです。
しかし、田んぼを不耕起にすれば、植物プランクトンを食べる動物プランクトン、昆虫、魚、鳥類……と、 生きものたちの食物連鎖が生まれ、 自然で豊かな稲作が可能になるということなのです。

田んぼが水を浄化する

田んぼは緩速ろ過の浄水場

もうひとつ、不耕起の田んぼのすばらしさは、水の浄化システムとしてすぐれていることです。不耕起の田んぼは、サヤミドロなどの藻類や植物プランクトンが大量の酸素を放出し、塩類を吸収、水を浄化します。稲も栄養塩類を吸収します。イトミミズなどのたくさんの小さな生きものが有機物を食べ、水の富栄養化を防ぎます。田んぼの水は、生きものがたくさん棲める安全な水になるのです。
そして、その仕組みが、ヨーロッパで水を浄化するために使われている「緩速ろ過」のシステムとよく似ているため、不耕起の田んぼは、水の浄化という面でも注目されています。(下図)
「緩速ろ過」は、薬品を使わず、微生物や小さな生きものの棲む砂に水をゆっくりと通し、それらの生きものに細菌や有機物、栄養塩類などを食べてもらって浄水する方法です。 安全でおいしい、生で飲める水ができます。
戦後、日本は「緩速ろ過」から、 「急速ろ過」へ移行しました。「急速ろ過」は、早くろ過をして塩素で消毒する方法です。しかし、塩素消毒は、臭いやトリハロメタンなど発がん性の化学物質を発生させることで問題になっています。
田んぼのろ過は、「緩速ろ過」よりさらに何十倍も時間をかけてゆっくりとろ過していることが信州大学教授の中本信忠さんの研究でわかっています。

琵琶湖に流れ込む濁水

岩澤さんはこう考えます。「たとえば、琵琶湖へとつながる3万haの田んぼがすべて不耕起になって、ろ過された水が一斉に注ぐとしたら、 それは3万haの超緩速ろ過の浄水場があることと同じになるんですよ」。日本の国土のうちの7%が田んぼとすれば、これは壮大なスケールになります。さらに冬期湛水をするとしたら、ほぼ1年中浄水できることになるのです! そうして日本中の水がきれいになったら、海も川も湖も生き返り、おいしく安全な飲み水を飲むことができるようになることでしょう。

図、緩速ろ過

田んぼは先人たちがつくり守ってきた広大な遺産

日本は、年間降水量が1800mlという水資源に恵まれた国です。その水資源の貯水を担っているのが、日本の国土のうち67%を占める森林と、田んぼです。「今世紀、世界は水不足に陥るといわれていますから、田んぼは、すぐれた治水能力を持つ、大切に守るべき日本の財産なんですよ」と声に力が入る岩澤さん。

しかし今、放棄された田んぼは増えるばかりで、畑地化されたり、次 々とほかの用途に変わっていっています。岩澤さんは、「休耕田も、たくさんの生きものが還り、水が浄化されるんだから、余っている種籾を蒔いて水を張っておくだけでもいいんですよ」と言います。ただ水を張るより、イネ科の植物が生えているほうが、生きものが増えるそうです。
きれいで安全な水に、わざわざ塩素を入れる必要はありません。稲作も水道水も、不必要な薬剤や施設にお金をかけるのはもうやめて、将来を見据えて、環境を守る永続可能な方法に変えるほうがいいのでは。
耕さない田んぼは、生き物が還り、その力で酸素をつくり、きれいな水をつくってくれます。しかも、耕す労力はいらず、おいしくて安全なお米を多く収穫することができるのです。環境問題を解決するという意味でも、大きな可能性をもった方法と言えるのではないでしょうか。

次世代に伝えたい生きものと共存する農業

不耕起の田んぼは、前年の稲株を残したまま行われます。そのため新しい苗は、古い稲株の間に植えるようになります。手作業で間に合う田んぼならいいのですが、岩澤さんたちは10年かけて、広い田んぼも不耕起ができるようにと、メーカーに協力してもらって不耕起用の田植機もつくりました。最初は、どこのメーカーにも断られて苦労したそうです。

それからまた、不耕起用の田植機がなくても、今まで使っていた田植機で代用できるようにと、「半不耕起」という方法もあみ出しているのです。岩澤さんのお話を聞いていると、まるで夢のような話という気がするのですが、すべて実践した上で、実現可能な方法をつくり出しています。
岩澤さんは、「自分たちの次の代も、その次の代も、何百年だって永続していけるように考えて、今変えていかなくちゃいけないんだ」と言います。目を輝かせて、生きもののいる田んぼのすばらしさを語る岩澤さん。思いもよらない生きものと出会った感動、生きものが稲に及ぼす自然の循環の仕組みを発見する喜びが、こちらにも伝わってきます。

"自分のことだけ"ではなく、ずっと先のことまで、みんなの幸せを願って働く人たちは、共通して、いきいきと輝いている……と改めてそんなことを思いました。岩澤さんたちは、生きものを大切にし、生きものたちが稲作りを飛躍的に進めてくれるこの方法を"生物資源型農業"と名づけ、日本全国に広めていくとのこと。これからもきっと、予想もしない生きものの報告や大発見が、うれしい驚きとなって岩澤さんたちのもとへ届くことでしょう。

稲刈りしている最中に集まってきた白鷺




強く、おいしいお米を追求したら 不耕起にたどりついた

岩澤信夫

岩澤信夫 私

は、もともとは自然農を目指したわけじゃなかったんです。ただただ、お米の増収や冷害にも強い稲づくりを追求してったら、不耕起・冬期湛水になったんですよ。何しろ20年前から始めて、今は「環境保全」て言うようになってるけど、その当時は世の中でそんな言葉、聞かない時代だったからね。だから化学肥料から自然農法までいろいろ試しましたよ。でもみんなうまくいかなかった。たくさんの農家に協力をしてもらって、実際に田んぼで実験や研究を繰り返すうちに、稲の持つ野生の力や、生きものの力が存分に発揮できれば、いいお米がたくさん穫れるということがわかったんです。重要なのは、苗なんだよ。いかにいい強い苗を作るかで決まってしまうんですよ。

近代の稲作は、戦後に、田植機が植えやすいような長さに苗の丈を合わせたところから始まってるんだよね。つまり工業化が中心で発達してきたっていうこと。稲の生態を中心にして考えられたんじゃないんですよ。だから、そのような苗はとってもひ弱で、たくさんの消毒や化学肥料や農薬がないと育たないし、種モミだって毎年買わなきゃならない。 気象の変化で、冷害などの大きな被害をすぐ受ける。不耕起の稲は、人間よりその年の天候を知ってるから、ほかの田んぼの稲が全滅してても、 ちゃんといつもと変わらず、稲は米を実らせることができるんです。

田んぼの主役は稲なんです。人は、稲がよいお米をつくるお手伝いをする助手でいいんです。大事なのは、 耕さないことで、生きものが棲める条件を整えること。生きものの視点から田んぼをつくらなければ、いいお米はできないんだっていうことです。生きものがたくさん棲む田んぼほど、安全な田んぼなんですよ。

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